古代の息吹を辿って ―吉備・伊都国・松本―



こんにちは。


「あなた 投稿するのか?」


という声が聞こえてきそうです。



私個人だったら 、投稿はやめるべきだと考えます。

と言うか、もう何年も前にやめるべき内容です。



だけど、人間は個人だけの物の見方ではなく、世界や、千年前、 二千年前、そしてこれから世の中がどうなっていくか、理解したり 想像したりする生き物です。


日本だけではなく、世界も大きな転換点に差し掛かっています。


それは色々な場面で起きていますが、思いがけず 私のブログもその一端に関わっていると感じています。


状況を見ればブログを止めるべきなのですが、本当にそれでいいのか、乗り越えるものがあるんじゃないかって。



日航機墜落事故から40年です。


もう十分すぎるぐらいおかしな事件、ニュース をたっぷり聞いてきて、


抗議やデモをしても、変わらなくて


「どうせ変わらない」が当たり前になって


別に、私が何かしなきゃいけないことなんてないんですけど、


何か変えられるきっかけがつかめるなら、やめてはいけないと思うんです。



批判は承知です。

それでもどう考えているのか、伝えておきたかったです。



「あとがき」は8月の中旬で終わります。



それまで、投稿を続けます。




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今回のブログの内容は、古墳や卑弥呼について取り上げます。


調べていくうちに、 詳しく書きたかった三つの場所がありました。


それが、岡山県の「吉備」と、福岡県の「伊都国」、そして 長野県の「松本」です。


歴史があまりにも奥深く、私自身まだ理解しきれていない部分も多いため、今回は情報の断片をお伝えさせてください。



❇️「吉備」が握る卑弥呼の謎


​卑弥呼の時代(弥生時代後期)、吉備は大和や九州に匹敵する強大な勢力を誇っていました。卑弥呼と吉備の注目の接点をまとめます。



1. 「卑弥呼の墓」のルーツ?


卑弥呼の墓ではないかとする説がある奈良県の箸墓古墳(前方後円墳)は、吉備の「楯築(たてつき)遺跡」などの墳丘墓がルーツという説が有力です。大和王権の葬送儀礼は吉備から提供された可能性があります。



2. 埴輪の先祖「特殊器台」


吉備の首長を祀る特別な土器「特殊器台」は、後に全国へ広がる埴輪の原型です。奈良の纏向遺跡からも大量に出土しています。



​3. 「吉備邪馬台国説」


巨大な墓や鉄器文化、独自の祭祀から「邪馬台国は吉備にあったのではないか」とする説もあります。


4. 桃太郎伝説と

        卑弥呼をつなぐ姉弟


卑弥呼と同一人物ではないかと考える説もある「倭迹迹日百襲姫命」は、桃太郎のモデル「大吉備津彦命」の姉。

『魏志倭人伝』に記される「政治を補佐した弟」の関係にも酷似します。


​吉備津神社(岡山市)周辺に伝わる「温羅(うら)伝説」は、強大な力を持った吉備勢力と大和朝廷との攻防を物語っているとも言われます。



🧑‍💻もう数年前になりますが、鬼の記事を書いた時、岡山県の地名に「久」が多いことが気になりました。


私の中で「鬼=久」という仮説があり、桃太郎伝説(鬼退治)で有名な岡山にその字が多く、不思議を感じました。



古代、この地で繰り広げられたであろう争いに思いを馳せます。



写真(上部):岡山県総社市 鬼城山(鬼ノ城)西門と角楼

写真(下部)︰岡山県倉敷市美観地区



❇️伊都国(いとこく)

         倭国の「窓」であり、

             外交・軍事の司令部


​『魏志倭人伝』で特別な地位として記される伊都国(福岡県)は、当時の日本の「玄関口」でした。



1. 一大率が置かれた

        外交・軍事の拠点


邪馬台国連合の「一大率(いちだいそつ)」が置かれ、他国を監視するとともに、大陸(魏や帯方郡)からの使者を迎える検品所として機能しました。


2. 代々「王」がいた格式高い国


多くの国が役人のみ記される中、伊都国は「代々王がいた」と明記されています。高い自治権を維持した連合の重鎮でした。


3. 考古学が証明する王墓


糸島市の平原遺跡からは、日本最大の直径46.5cmの内行花文鏡5面や、数千点の宝飾品が出土。卑弥呼の時代の祭祀文化との深いつながりを感じさせます。


4. 卑弥呼と伊都国の関係


大陸の最新情報(鉄や鏡)を独占した伊都国は「外に向かった最先端都市」、吉備は「内のシステムを固めた精神的支柱」というイメージです。糸島周辺の美しい遺跡群は今も魅力的です。



写真︰ 福岡県糸島市(糸島富士)



❇️今、話題の松本  弘法山古墳

長野県松本市の「弘法山古墳」が注目を集めています。約50年ぶりの再調査により、従来の定説を覆す大発見がありました。


1. 卑弥呼の時代と合致


これまでは「3世紀末ごろ」とされていましたが、最新の分析により「3世紀前半〜半ば」に造られた可能性が高まりました。


卑弥呼の没年: 248年ごろ(3世紀半ば)

弘法山古墳の築造: 3世紀前半〜半ば


​まさに卑弥呼とリアルタイムで同時代を生きていた有力者の墓ということになります。



2. 「東日本最古」から

        「日本最古級」へ


東日本で一番古いグループという評価から、西日本を含めた「日本最古級」の古墳として改めて注目を集めています。


3. 浮かび上がる広域ネットワーク


出土した土器は、地元に多く見られる特徴ではなく、東海地方(現在の愛知県など)の特徴を持つものが多く確認されています。


このことから、ヤマト王権による統一以前の3世紀ごろには、東海地方から松本盆地へとつながる活発な交流ネットワークが存在し、その交流を主導する有力な勢力やリーダーがいた可能性が指摘されています。



🧑‍💻どこに邪馬台国があり、どこに卑弥呼がいたのか。


二千年近く経った今も、その正確な場所は謎に包まれています。


古代の王たちは、どのような国を築いていたのか想像するとロマンを感じます。



写真︰ 長野県松本市(弘法山古墳)