もう昔のことだから




太子について書く前に、気になる事件を書いておきたいです。


事件と言っても、1447年前です。

何かあったとしても、もう時効ですよね。


特定の人物の過去を暴きたいわけではなくて、系図のどの箇所が正しいか 見ていく過程で、気づいたことを書いていますので、ご了承いただきたいです。



😿ドラマ「 高校教師」と 似た事件


本を読んでいたら、ドラマ「 高校教師」と似たような事件を見つけました。



日本書紀、敏達7年(西暦578年)に、菟道皇女(うじのひめみこ)を伊勢神宮に遣わしたが、池辺皇子に犯され、ことが 露見して解任された。



聖徳太子の父親、 用明天皇は池辺皇子と呼ばれていました。

即位後に作った宮が、池辺双槻宮(いけのへふたつきのみや)だった為。


用明天皇は、自分の息子の妻になる女性を犯したのではないかと疑われている説があって、この話は 関さんの本で知りましたが、他の資料にも似たようなことも書いてありました。


自分の息子とは、 聖徳太子のことです。


私はこれを疑っています。


ドラマ 高校教師からいっても、お父さんは自分の娘と関係を持っています。


用明 天皇の人物画を見てみましょう🫱





こんなに人が良さそうなのに…



次に注目したのは、敏達天皇です。

別名が、他田天皇です。


最初、広姫(ひろひめ) と結婚し、男一人と女二人をもうけています。


娘の一人は、菟道磯津貝皇女(うじのしずかいのひめみこ) と言います。

(私は勝手に 磯姫と呼んでいます)


広姫が早くに亡くなってしまい、翌年 推古天皇と再婚します。

生まれた子の名前は、菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ)と言います。

(勝手にタコ姫と呼んでいます)


姫には別名があり、菟道磯津貝皇女なんです😵‍💫

1人目の娘と同じ名前です。


1年違いで、名前が似た娘が腹違いで生まれています…



敏達天皇は、新しい宮殿・訳語田幸玉宮(おさたのさきたまのみや)が完成した際に、病弱な妻・広姫を百済大井宮に残し、置き去りにされた広姫は失意のあまり病状が悪化し、孤独のうちに崩御した…とされています。


この訳語田幸玉宮は、現在の奈良県桜井市戒重(かいじゅう)にあります。



「菟道」の名の付く皇女は二名いて、どちらも敏達天皇の皇女です。


一人は広姫の生んだ菟道磯津貝皇女。

もう一人は、推古天皇が生んだ菟道貝蛸皇女。



今回は、こんな話がありましたので、ご紹介しておきました。



だけど、もう昔すぎる話です。。